生きる希望No.8


O∞

証し−PART1
 私は小さい頃、よくいじめられては泣いていました。そして、家ではなぜ泣いたのかと、親から叱られました。弟とけんかをして弟が泣くと、なぜ小さい者をいじめるのかと、また親から叱られました。学校では100点を取ると、隣の人の答案を見て書いたのだとうわさをされました。しかし、日曜学校で、神様はすべてのことを見ておられることを知りました。悔しい思いがありましたが、聖書を通して、神様は公平なお方であることを知りました。自分では何も悪いことをしていなくても、不公平な扱いを受ける度に、祈って神様にゆだねることができました。それからも進学、就職、失恋、身近な人の死など、いろいろな人生の局面を迎えましたが、神様が困難な時を乗り越える力を与えてくださいました。そればかりか、困難な状況を通過している時も、神様が私の信仰を強めるために、それを許されていることが理解できて、さらに神様に近づいていくことができることを感謝しています。 (ポインセチア)


証し−PART2
 私がうつの時に、そのことが理解できなくて怠けているのだと思った家族から暴力をうけました。信頼していた家族からの行為に対して赦せない思いが私の心を支配しました。その出来事を思い起こすたびに赦せなくなり、心の病気になりました。私は自分の罪の為に十字架にかかってくださったイエス・キリストの御心が人を赦すことなので、神様のみこころに答えたくて、聖霊様の助けの中、赦すことを選びました。その後も、家族の悪い行為に対して赦せない思いがでてきました。でも、神様は御心に従う人を助けてくださいます。神様は人が私にした悪いことにとらわれるのではなく、赦すことが清い神様のご性質であり、赦さない心がどんなに醜いものかを聖霊様の働きの中で教えてくださいました。赦さない心がとても気持ち悪く、自分の中に存在することを拒否しました。聖霊様が臨まれるとき、悪が共存することはできません。聖霊様は癒し主であり、解放者です。霊のまなこを開いてくださった聖霊様をほめたたえます。 (ヨシュア)


証し−PART3
 私は幼い頃から「神様はいる」と信じていました。でも、ただ漠然と「神様」というだけで、その神様がどんな名前でどんなお方なのか、ということはわかりませんでした。私の家の近所には、ある宗教の施設があり、夏になると地域の子どもたちを集めてバス旅行に出かけていました。私は海水浴が魅力的で何回か参加しました。ある年に参加したとき、そこに集い礼拝している人々はどんな神様を拝んでいるのかとても気になり、神殿の裏を覗いて見ました。そこには石が安置されていました。「えー!みんなこの石を拝んでるんだ。私の神様は石なんかじゃない!」とその時に思いました。幼いながらも真剣にその宗教に入信しようかと思っていた私は、やっぱり違うと思い直しました。それから数年後、高校3年生の冬に初めてキリスト教会を訪れ、まことの神であるイエス・キリストを知りました。私の求めていた神様にようやく出会うことができたのです。神様は真理を求める心を持つ者に、必ず答えてくださるお方。私は本当の神様を見つけました。    (マンゴ)


証し−PART4
 私は3人兄弟の真ん中で、両親はいつも下の妹を可愛がっているようで、上の兄も父から大切にされているように感じていました。家族で旅行に行っても、他の兄弟はわがままを聞いてもらって、好きなようにして、楽しんでいました。高校生の時、人間は何のために生きるのかと悩み始めました。生きる目的が分からないのに生きることはとてもつらいことでした。受験勉強に打ち込もうとしても、雑念でいっぱいになり、ラジオの番組を聞きながら、自分とは違う世界に入って現実逃避をしていました。大学生になり、夏休みには、いろいろな場所を旅して、今まで見たことのない所で、自分の好奇心を満たすことが唯一の楽しみでした。しかし、心の中は空っぽで、ホテルの部屋に帰ると虚しさと孤独感に襲われていました。そんな時に、友人から誘われて大学の聖書研究のサークルに入り、少しずつ聖書を読み始めました。それから近所の教会にも時々参加するようになりました。すぐにはイエス様を救い主として信じることはできませんでしたが、教会の人々が温かく迎えてくれて、何かほっとするものを感じました。ある日、神の子イエス・キリストが十字架にかかられたことを思い、それが、私の罪のためであったことを知りました。涙があふれて、感謝の気もちでいっぱいになりました。自分の罪のために、とても心が重苦しく、恥意識をもっていて、人と話をするのが苦手でしたが、今は、神様が受け入れてくださっているという安心感があって、人と話すときに、苦手意識がなくなりました。今は家族の救いのために祈っています。 (アンデレ)