生きる希望No.12


O∞

証し−PART1
 神様によって、忘れていた幼い頃の出来事がいろいろと思い返されてきている。7歳の時に家庭の中で起こった大人同士のけんかがきっかけとなり、私の心の中は否定的な思いでいっぱいになってしまった。それは恐れや不安、大人に対する不信感、また「私は愛される価値がない、誰からも受け入れてもらえない」といったような思いだ。恐れや不安から、自分の本当の気持ちを相手に伝えることができなくなった。特に私にとって一番大好きで信頼したい両親に対して、そのことが難しくなった。「愛されたい」と思うその思いから、自分の気持ちではなく両親を喜ばせる言葉を発してしまう。私を受け入れて欲しくて、自分の気持ちに嘘をつき、相手にとって都合の良いような返事をしてしまうようになった。私の中のこのようなパターンは自分の性格、性質だとずっと思い込んでいた。この30年間、私はこの偽りを持ち続けてしまったのだ。なんということだ!でも、今、この偽りに気ついた。私はこの重くのしかかった偽りを、イエス様の十字架の前に降ろす。「神様、この偽りを信じて生きてきたことを赦してください。神様、これからはあなたの真理の中にずっとずっと生きていきたいです」と。少しずつだけど、回復の道を前進しています。 (ヨハンナ)


証し−PART2
 私はクリスチャンになって、何かできるようにならないといけない、それによって神様を証しする者になるんだ、とずっと思っていました。自分の能力、自分の成功、自分の人生に花を咲かせて、その後に「クリスチャンだ」とわかれば、証しになる、とずっと思っていました。そして、自分もそうなるようにずっと努力してきました。しかし、その努力は全くと言っていいほど報われないどころか、おかしな事が次から次へと起こってきて、結局、何も実が残りませんでした。その中で、それは神様が、神と人とに仕えるようにあえてそうされたことに気づきました。自分の人生にスポットを当てて生きる人生ではなく、神様と人とに仕えていく人生、それを私は役目として与えられている、とわかったのです。「自分の人生なんだから自分で決めて何が悪い」と思っていましたが、そうでなく、神様と人とに役に立つよう、その為に私の人生はあるんだ、と180度考え方が変わりました。これからは、神と人とに仕えられるよう、歩んでいきたいと思います。 (テディーベア)


証し−PART3
 職場の先輩が体調を崩し、心身共に痛んでいるところをみて、私はその先輩のため、一緒に働いているスタッフ全員のために祈るようになりました。体調が良くなるように、と祈ると同時に神様から祝福されるように祈る自分の姿がありました。その時に気づきました。職場のスタッフは、皆ノンクリスチャンですが、いつも祝福を求めていると言うことです。私たちクリスチャンは、祝福の源が神様だ、と言うことを知っています。しかし、職場のみんなは祝福されたくても、どうしたら真実の祝福を得られるのか、知らないのです。闇雲に、「神様信じなさい」と伝道するよりも、神様の祝福があるように祈ることの方が先だ、と今更ながらに気づきました。そう思いつつ、すべての人が真の神様を知って、祝福されるように祈るようになっています。 (マナ)


証し−PART4
 聖書は、私たちの信仰には、それに一致する行動が必要であることを教えています。祈ることは大切ですが、その後の行動も大切なのです。私は学生の頃、寝る前に神様に自分の必要をお祈りしていました。私は祈ったことによって全てが守られるかのように安心していました。でも、ふりかえってその中の祈りが答えられていないのは、神様に祈った後、その必要に対する私の行動がともなっていなかったからだと考えさせられました。

 私たちは神様に祈りますが、その祈りにそった信仰による行動を神様に果たしていく責任があると思います。今、私は日本のリバイバルに向けて、日々、御霊によって祈り、神様との生きた交わりの中で喜び、リフレッシュさせていただきながら、今与えられている環境の中で、人のために、特に身近な家族、友人のためにとりなしをしています。真理を語り、真理を行う者として歩めるよう聖霊様によりたのみ、JRMの流れのなかで信仰生活を築いています。癒し、預言を重んじながらも、神様のみ前で、信仰による私たちの行いがいかに大切であるかを改めて考えさせられる日々です。祈ったことにそった行動をしていこうと決心しています。 (義主愛)