生きる希望No.13


O∞

証し−PART1
 私はクリスチャンホームに生まれ、両親の祈りによって育てられました。高校一年生のとき、ユースキャンプで祈っている時、イエス様と十二人の弟子たちの幻を見ました。弟子たちは、「私たちの中で、誰が一番偉いだろうか?」と議論していて、イエス様が十字架にかかろうとしておられる最中に、自分たちの名誉や出世のことしか頭にないようでした。イエス様は、全てを知った上で、弟子たちの態度にガッカリするどころか、穏やかな笑みを浮かべて楽しそうに歩いておられたのです。私はその幻を見て、ショックで泣き出してしまいました。こんなにも神様が愛しておられる一人ひとりの魂を愛さず、また気にかけてこなかった自分の罪を示され、涙なしには悔い改めることが出来ませんでした。

 私は再び幻を見ました。大きなスタジアムで集会がもたれ、大勢の人が、祈りと助けを求めて講壇に殺到している姿でした。救い、癒し、解放を必要とする人々の多いことに気づかされ、魂に対する重荷が与えられると同時に、召命の確信与えられました。この幻は、2004年から、JRMの会員の御奉仕によって、協力教会と共に毎年開かれているJRMの「いやしと奇跡の聖会」を通して、数々の病からの癒しが起き、決心者が起こされていることによって、少しずつ現実のものとなってきています。 (くしゃみ)


証し−PART2
 憐れみは裁きに打ち勝つ。(ヘブル2:13)

 昨年の12月に友達と電話で話している時、知り合いが経済的に困窮している話を聞きました。関係があまり良くなかった人でしたので、「本当に困っているかどうか分からないよ。お金があっても、大変大変と言う所があるよ」と言ってしまいました。「本当に困っているみたいだよ」と更に言われたとき、神様に試みられているかもしれないと思い、「大変なら助けてあげないとね」と言い直しました。其の後銀行に出かけたのですが、入れたはずの通帳がバックに入っていません。入れ忘れたのだと思い、家に引き返し、探したのですが見当たりませんでした。「神様ごめんなさい。憐れみの無い思いを持ってしまいました。お金がなければやはり大変です。私達はあなたの憐れみによって祝福を頂いているのに」と悔い改めました。私は自分の能力、自分の成功、自分の人生に花を咲かせて、その後にクリスチャンだと証しすればいいのだと思い、そうなるように努力してきました。しかし、その努力は報われないどころか、何も実が残りませんでした。以前は「自分の人生、自分で決めて何が悪い」と思っていましたが、そうではなく、「神様と人とに役に立つように私の人生はあるんだ」と180度考え方が変わりました。これからは、神と人とに仕えられるよう、歩んでいきたいと思います。 (テディーベア)


証し−PART3
 私は昨年の8月26日に、生活のリズムと体調を崩して入院することになりました。入院することを避けて生活をし、信仰生活を築いてきた私にはショックでしたが、「このようなことで私の人生はだめにならない」と励ましの御言葉がありました。「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行き詰ることはありません」(2コリント4:8)「あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが書きしるさせました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに」(詩篇139:16)「私はあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。主の御告げ、それはわざわいではなくて平安を与える計画であり、あなた方に将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたが私を呼び求めて歩き、私に祈るならわたしはあなたがたに聞こう。もしあなた方が心を尽くして私を探し求めるなら私を見つけるだろう」(エレミヤ29:11、13)私は環境、人、状況ではなく、神様の完全なる御言葉に目を向け、より頼みました。私達が良いときも悪いときも変わることのない神様の約束に、喜びと希望がこみあげてきました。神様の御心に勝る人間の思いは何一つなく、神様の御心の人生を歩めることが私達の恵みです。私は時々、神様に従わないで、自分の思いのままに生きる人生を選択してしまいます。でも、神様に従わないで、自分の思いに生きることは愚かだと思います。神様との信頼関係がないことは、とてもこわい事だと思います。神様との信頼関係の中でのみ平安を保つことができるのです。今、私はJRMの流れの中で信仰生活を築いています。霊的指導者である綾部先生の下でキリストの愛をのべ伝える者として訓練を受けています。神様の御心を示し、導いて下さる綾部先生に感謝し、神様に感謝しています。これから多くの神様の愛を知らない人々に神の愛をのべ伝えて、神様のご計画、神様の御心の人生の素晴らしさを証していく者へと日々造り変えられていきたいと思っています。 (義主愛)