生きる希望No.15


O∞

証し−PART1
 小学生の頃、就寝前に「歯は磨いたの?」と母親に聞かれて「うん、磨いたよ」と何度も嘘をつき、歯磨きせずに寝ていた。その結果、虫歯だらけになって、歯医者に行っては治療していた。そしてほとんどの奥歯に金属が詰められた。今から数年前、突然足に水疱ができた。水虫かと思い皮膚科を受診したがそうではなく、原因不明の水疱だった。皮がむけてはかゆくなる。治ったと思うとまた水疱ができる。その繰り返しで水疱の範囲はどんどん広がっていった。薬を塗ってもちっとも治らない。そのうえ足だけではなく手のひらにも水疱が現れた。これはおかしいと思い、いろいろと調べてみた。もしかしたら金属アレルギーかもしれないとわかり、皮膚科でパッチテストを受けた。その結果、多くの金属に反応する金属アレルギーだとわかった。歯の治療に用いた金属がゆっくりと溶けて、私の体に反応したのだ。手足の水疱もその結果だと思い、歯医者に行って金属を取り除く治療を始めた。私の歯の詰め物は金属から白いプラスチックに変わった。半年くらいかかって、ようやく治療を終えた。それに伴って徐々に手足の水疱も消え、元通りにきれいな皮膚になった。幼い頃の私の小さな嘘はこんなにも大きくなって、自分自身を傷付け、痛めつけ、悲しい思いをさせるという結果をもたらした。小さな悪い種をまいて、大きな悪い実を刈り取ったのだ。この経験から、自分を偽らず、神様の御前に正直に、真実に生きることは、祝福に満ちた将来につながっていくことがわかった。今、この瞬間が大切なのだと。    (ヨハンナ)


証し−PART2
 畑に植える野菜の苗を買いに、母と近所の農協へ行った。ゴールデンウィークで、開店早々だったので、お客さんはまばらだ。玄関先に並べてある野菜を見て選び、店内に入った。店内であれこれ見ていたら、子供連れのお母さんたちが入ってきた。振り返ってよく見ると、そのお母さんは私と同年の女の子だった。保育園の頃からの顔見知りだが、幼い頃の私はその子をなぜか恐れていた。その子はいつも元気ハツラツ、誰に対しても言いたいことが言えて、みんなを引っ張っていくようなリーダー的な存在だった。そんな彼女がちょっと怖かった。でも、今の私は違う。私の中に幼い頃の恐れはないし、彼女が怖い存在にも見えない。そして、自然に話しかけてみた。話してみると、本当に普通で、逆に彼女の優しさがとても感じられた。私はいったい、何を恐れていたのだろうか? 
 幼かったときも、今のように話すことができていたら、もっともっと仲良しになれていたかもしれない。恐れに縛られていた頃は、本当に苦しかった。でも今はもう苦しくない。ありのままの自然な私でいられる。イエス様が私とともにいて、私を包んでいてくださるのがよくわかるから。私はイエス様の中にあって、本当の自由を得たのだ。そして私は、ゴールデンウィークに帰省していた彼女と「またね!」と明るく挨拶をして別れた。 (マドンナ)


証し−PART3
 妻は悪性リンパ腫で、主治医から「腹部に24cm大の巨大腫瘍でステージ4」と告げられました。末期であり、すぐに抗ガン剤を投与され、「生存率20%で仮に退院できても1−2年でほとんどの人が死にます」と言われた時に、私の中で生きていく支えが砕けていきました。絶望から這い上がることができず、暗やみの中にいた頃、クリスチャンの友人から電話があり、「みんな元気でやっている?」と訊かれて妻のことを話すと、すぐに病院に来てくれました。変貌した妻の姿に涙を流しながら、「神様がぜったい治してくださるから大丈夫」と励ましてくれ、悪霊をしかりつけ、異言で祈ってくれ、すごい映画を見ているようでした。私は無神論者でしたが、何も頼るものがなかったので、神様を信じて祈ってみようと思いました。朝、病院に行って祈り、仕事場に向かい、夜また病院で祈る毎日でした。以前の友人関係の付き合いを一切断り、大好きだったアルコールをやめ、ただひたすら神様に祈りました。「神様、愛する妻を助けてください!」祈り方が分からなかったので、1日に何百回も涙をながして助けを求めました。2006年の「いやしと奇跡の聖会」でメル・ボンド先生にも祈ってもらいました。ハレルヤ!神様の愛とみなさんの祈りによって妻のガン細胞は小さくなり、これ以上の抗ガン剤の効果もみられないので退院ということになりました。2004年に入院したときに、あと数ヶ月と宣告されていましたが、検査に行く度に、「不思議だ、他の人はみんな死んでいるのに」と驚嘆されています。ここまで生き延びたことは次に繋がることと思っています。私は祈りに応えてくださった神を信じて礼拝に出席し始め、今年のイースターに洗礼を受けることができました。ハレルヤ! (聖水)